仏陀のことば![]() ![]()
わたしをののしった、わたしを笑った、わたしを打ったと思う者には、怨(うら)みは鎮(しず)まることがない。
怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。 屋根のふき方の悪い家に、雨が漏るように、よく修めていない心に、貪(むさぼ)りのおもいがさしこむ。 怠るのは死の道、努め励むのは生の道である。愚かな人は怠り、智慧(ちえ)ある人は努め励む。 弓矢を作る人が、矢を削ってまっすぐにするように、賢い人は、その心を正しくする。 心は抑え難く、軽くたち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。 花の香りは、風に逆らっては流れない。しかし、善い人の香りは、風に逆らって世に流れる。 眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。 愚かにして愚かさを知るのは、愚かにして賢いと思うよりまさっている。 愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。 大工が木をまっすぐにし、弓師が矢を矯(た)め直し、溝(みぞ)つくりが水を導くように、賢い人は心をととのえ導く。 堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。 おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。 正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。 怨(うら)みのさ中にあって怨みなく、愁いのさ中にあって愁いがなく、貪りのさ中にあって貪りがなく、一物もわがものと思うことなく、清らかに生きなければならない。 病のないのは第一の利、足るを知るのは第一の富、信頼あるのは第一の親しみ、さとりは第一の楽しみである。 おのれこそはおのれの主(あるじ)、おのれこそはおのれの頼りである。だから、何よりもまずおのれを抑えなければならない。 おのれを抑えることと、多くしゃべらずにじっと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめである。 執着があれば、それに酔わされて、ものの姿をよく見ることができない。執着を離れると、ものの姿をよく知ることができる。だから、執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる。 まだこない未来にあこがれて、とりこし苦労をしたり、過ぎ去った日の影を追って悔いていれば、刈り取られた葦(あし)のように痩(や)せしぼむ。 過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。 過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。 今日すべきことは明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。 (仏教伝道協会編 『仏教聖典』 より)
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