「第二の矢」の教え

 NHKラジオ第1放送の「ラジオ深夜便」で聞いた話です。番組にゲストとして出演されたジュディ・オングさん(歌手・女優・版画家)が「特に心に残っている言葉は何ですか」とアナウンサーに問われて、その答えとして語られたのが「第二の矢に撃(う)たれない」という話でした。これは、天台座主(てんだいざす)と対談されたときに聞いた言葉だそうです。ちなみに天台座主というのは、比叡山延暦寺の住職で、天台宗一門を統括する立場にあります。

 さて、この「第二の矢に撃たれない」という言葉の意味ですが、ジュディ・オングさんが説明された内容は、およそ次のとおりです。

 例えば、家宝として大事にしている花瓶を運んでいるときに、誤って手を滑らせて落としてしまい、その結果、かけがえのない花瓶が割れてしまった。もちろんこれは大変な損害であり、不運なことです。これが「第一の矢に撃たれた」状態です。

 しかし、人はこの状態にとどまらず、さらにダメージを大きくしてしまうことがあります。「なぜこんなことになってしまったのか」と、取り返しのつかないことに身が細るほど思い悩むだけでなく、場合によっては誰か別の人のせいにして争いを起こすことさえあるかもしれません。こうして、貴重な花瓶が壊れたという「第一の矢に撃たれた」状態を発端として、自責の念による癒しようのない苦悩を抱え込んだり、責任転嫁による人との争いといった別の災難を招き寄せてしまうならば、それが「第二の矢に撃たれた」状態です。

 このように見ると、「第一の矢」は、すでに起きてしまったことなので、それは「仕方がないこと」です。一方、そこから先の「第二の矢」については、「第一の矢」の段階で「仕方がないこと」として心の整理ができていれば、生じさせずに済むものです。だから、たとえ「第一の矢」を身に受けたとしても、さらなる「第二の矢に撃たれない」ことが重要というわけです。
(文/浜山典之)

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