藤原道長といえば『御堂関白記』という日記の筆者として知られています。しかし、何といっても後世の日本人に藤原道長の決定的なイメージを植え付けたのは、次の和歌でしょう。
この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の
欠けたることもなしと思へば
これは、平安時代中期の朝廷において事実上の最高権力者として政権を独占していた藤原道長(966-1027) 自身が、1018年に自宅で催した酒宴の席で詠んだものといいます。三代にわたる天皇の外戚として国政のすべてを自らの支配下におさめた絶頂期の藤原道長が、まさに我が世の春を謳歌している時期の高揚した気分が、この和歌から伝わってきます。
しかし、この酒宴が催された翌年の1019年に藤原道長は出家し、仏教への信仰を深めて「法成寺」などの寺院の建立に努めています。現生での立身出世を極めたあとは、来世の安楽、あるいは極楽往生を求めることに心が向かったということでしょうか。
晩年の道長は糖尿病にかかっていたという説があります。比類なき権勢を誇った道長であっても、さすがに「生老病死」という万人共通の基本的な苦から免れることはできず、余生は病苦との闘いだったのかもしれません。「この世をばわが世とぞ思ふ」とは言っても、わが身ひとつのの健康さえままならないのが人間の現実です。それゆえにこそ、たとえほんの束の間のことであっても、この和歌が放つ道長の強烈な自負心の輝きは、時空を超えて人々にひときわ強い印象を与えるのではないでしょうか。
(2021/7/5)
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