進歩史観と下降史観

文/浜山典之

 人類の歴史は進歩しているのか、それとも退歩しているのか。あるいはまた、「歴史は繰り返す」という言葉があるように、歴史は循環しているのでしょうか。

 例えば、「先進国」とか「発展途上国」と言ったときに、その前提になっているのは、人類の歴史が進歩し続けているという頭の中のイメージでしょう。あるいはまた、およそ半世紀前の1970年に日本で開催された「大阪万国博覧会」のテーマは「人類の進歩と調和」でしたから、言うまでもなく、それは人類が進歩しているのは当たり前という観念があってこその話のはずです。

 しかし、それとは逆に歴史は時代が下るにつれて劣化していくという見方があります。その代表的なひとつの例として挙げられるものは、古代ギリシア人やローマ人の歴史観です。小林標『ラテン語の世界』(中公新書)には、次のように書かれています。

  ギリシア人、ローマ人は一種の下降史観を持っていて、
  最古のときに理想的黄金時代があり、それから徐々に人
  心が堕落していったと考えた。黄時代の次に来る白銀金
  時代は、少しは劣るがその後の鉄の時代よりはましだと
  いうことである。(同書、p.177)

 これと似たような歴史認識は、中国の古代にもありました。いわゆる「尭舜時代が一番良かった」という歴史のとらえ方です。つまり、中国古代の伝説上の理想的帝王とされる尭(ぎょう)と舜(しゅん)が徳によって天下を治めた時代こそが、治世の最上の模範であるとすることです。

 一方、日本では平安末期から鎌倉時代にかけて「末法(まっぽう)思想」が流行しました。この思想によれば、仏陀の入滅後、500年間は正しい仏法の行われる正法(しょうぼう)の時代が続くものの、そのあとに仏法が次第に衰える像法(ぞうほう)の時代を経て、やがて末法の時代になると仏陀の教えが消滅していくといいます。これなどは明らかに下降史観に分類されるでしょう。

 では、現在の日本はどうでしょうか。科学技術の面では、宇宙開発やAIなどで日々の進歩は明らかです。しかし、こうした科学技術に裏付けられた様々な経済活動や事業推進などにより地球の自然環境が悪化しているのも事実でしょう。これが本当に進歩と言えるのかどうか、疑問があります。
(2022/6/18)  



[ ホームへ ]