明日への読書録
浜山典之
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『俳句的生活』について
2021/10/1 (金) 18:13 by 浜山典之 No.20211001181335
長谷川櫂『俳句的生活』(中公新書、2004年)は、俳句を軸として、さまざまな切り口から多彩な論を展開しています。
この本の著者は俳句というものをどのように捉えているのかといえば、それは次の個所から読み取れると思います。
つまり韻文とは無意味なものでありナンセンスなものであっ
て、本来、社会生活にとって何の役にも立たない。(中略)
俳句は韻文の中で最も短いことから容易に想像できるように
極端な韻文であって、言葉の意味を最小限に抑えて、その代
わりに言葉の風味を最大限に生かそうとする形式である。
(中略)人間が生活している世間は理屈でできているから、
誰でもふだんは理屈の中にどっぷりと浸かって生活している。
(中略)初めて俳句を詠もうとする人がなかなかうまく詠め
ないのはこの世間の理屈から抜け出すことができないからで
ある。(同書、p.37)
ちなみに、上の引用文中にある「言葉の風味」というのは、「言葉の意味」の対立概念として著者が繰り返し用いているこの本のキーフレーズです。
ところで、俳句を詠むことによって人生が変わる可能性について、著者は次のように述べています。
人間は誰しも自分自身に縛られて生きているのであるが、
俳句には十七音という制約があるために俳句を詠む人は自
分を縛る自分を捨てなければならない。(改行)俳句とい
う形式のこの特徴が俳句を詠む人の生き方に影響を及ぼす
ことがある。(同書、p.106)
この本にはほかにも注目すべき点がいろいろとありますが、特に一つ挙げるとすれば、次の個所です。
明治維新以来、日本は近代化という名のもとに西洋文明を
迎え入れる一方で、日本古来の土着文化を恥として滅ぼし
続けてきた。その結果、私の身のまわりを探してみても日
本固有の文化はほとんど残されていない。しいてあげれば
日本語しかない。(同書、p.215)
ここまで言い切っていいかどうかは、人によって意見の分かれるところだろうと思いますが、こうしたことを含めてなかなか興味深い本です。
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『物語 オーストリアの歴史』について
2021/7/3 (土) 18:52 by 浜山典之 No.20210703185230
山之内克子『物語 オーストリアの歴史』(中公新書、2019年)は、オーストリアを構成している九つの州に対して、それぞれに一つずつ章を設け、オーストリアの歴史を州別に解説しています。ヨーロッパ中央部の山岳地帯にあるオーストリアは、北海道とほぼ同じくらいの面積の小さな国ではありますが、自然環境も、人々の生活習慣も、歴史的な発展も、地域ごとに驚くほどバラエティーに富んでいることが、この本を読むとよくわかります。
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『敦煌物語』について
2021/7/3 (土) 14:52 by 浜山典之 No.20210703145238
松岡譲『敦煌物語』(講談社学術文庫)は、中国西部のシルクロードにある敦煌(とんこう)を舞台にした小説です。その敦煌にあるのが千仏洞(せんぶつどう:現在の呼び名は「莫高窟」(ばっこうくつ))で、そこには何百年もの間、人知れず封印されていた大量の写経や文物があり、それが1900年に偶然に発見されました。するとそれを目当てに、いくつかのシルクロード探検隊が20世紀の初頭に次々に敦煌を訪れ、千仏洞を管理していた住持(住職)を言葉巧みに籠絡(ろうらく)し、それらの貴重な写経や文物の大半を驚くほどの安値で買い叩いて持ち去ってしまいました。その経緯をこの小説は描いています。ただ、大筋では史実を踏まえつつも、住持と探検隊との間のやり取りなどは著者の推測によるところが大きく、あくまでもフィクションとしての読み物です。
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『応仁の乱』について
2020/6/28 (日) 14:32 by 浜山典之 No.20200628143259
呉座勇一『応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書、2016年)は、奈良にある興福寺の二人の僧侶が残した日記を主な史料として駆使して、応仁の乱の歴史的背景、当時者たちの人間関係や行動の動機などを分析しています。そのようにして妥当性の高い推量を重ね、応仁の乱の複雑な実像を浮かび上がらせています。
応仁の乱は京都の市街を焼け野原にし、さらに全国に広まって約11年もの間続くことになった大乱ですが、その後の歴史の中で、応仁の乱の勃発の原因は日野富子にあると長い間考えられてきました。しかし、実際の経緯はまるで違うことが、この本の中で明らかにされています。従来の誤った歴史認識を形成するもとになったのは『応仁記』に書かれている記述内容だと、この本の著者は指摘しています。
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『知の旅は終わらない』について
2020/5/9 (土) 19:38 by 浜山典之 No.20200509193807
立花隆『知の旅は終わらない』(文春新書、2020年)は、「知の巨人」として名高い著者が、幼少期からこの本の執筆時点までの人生を振り返って書いた自伝的エッセイです。
これまでに3万冊の本を読み、また世界各地を飛び回り見聞を広めてきた著者が、人間の知的な営みにおける「理解」という根本的な問題について書いているところが興味深く思われました。(同書、pp.110-111)
全体としてみれば、この本には思索的あるいは哲学的な色彩を帯びた記述が多く見られます。たとえば、下記のような箇所が印象的です。
すべての人の現在は、結局、その人が過去に経験したことの
集大成としてある。(同書、p.150)
キリスト教の原点は、もともと土着宗教であったという事実
の中に見出せるのです。(中略)キリスト教は、紙の上に書
かれた教義を抽象的に理解するだけではまったくわからない
世界だということなのです。つまり、その土地の人々の日常
生活と密着した、地域のすべての文化的伝統、ならびに日常
的共同行動と切り離せないものなんですね。(同書、p.169)
日常的な現象世界の背後には、唯一にして、無限で、永遠の
真の実体が存在する。それは『神=自然』で、それを認識す
るためには、永遠の相の下に見ることが必要だとスピノザは
説きます。(同書、p.192)
科学の基礎は物理学で、科学のいちばんの基礎になる考え方
は物理学が発展する中で築かれてきました。(同書、p.295)
また、この本では昭和から平成にかけて社会的に注目された様々な事件や出来事についても触れられていて、それらの歴史的な背景や意味を知る上で参考になります。
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浜山典之
(はまやま・のりゆき)
『明日への読書録』
Copyright © Noriyuki Hamayama
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