ことばの手かご
浜山典之
 

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「光多き所」の差引勘定
   2025/11/19 (水) 18:14 by 浜山典之 No.20251119181424

 日本では一般的に「光が強ければ闇も深い」とか「光が強ければ影もまた濃い」という格言として知られていると思いますが、これはもともとドイツの文豪ゲーテによる言葉のようです。
 手元の独和辞典の viel の項には、この言葉に当てはまる次のような用例が記載されています。

 Wo viel Licht ist, ist auch viel Schatten.
 《諺》光多き所には影もまた多し,物事には裏表がつきものだ.
 (三省堂『クラウン独和辞典』第3版)

 ここに記されている「光多き所には影もまた多し」というのが字義通りの訳で、「物事には裏表がつきものだ」の方は、この言葉が伝えようとしている真の意味あるいは含意(connotation)ということになります。
 では、「物事には裏表がつきものだ」というのは、実生活ではどのような場面が考えられるでしょうか。例えば、華やかなスポットライトを浴びて燦然と輝いている芸能人やスポーツ選手などが、その栄光の裏では想像を絶するような努力や下積みの苦労をしていたり、あるいは激しい内面の苦悩を抱えているというようなこともあるでしょう。そうした場合、表面上の光の強さや量に相当するくらいの影の部分が、その裏にはあったということになるでしょう。
 他方、視点を変えて世界的に有名な大都市を眺めた場合、その表向きの煌(きら)びやかさや経済的な繁栄の裏側には、それに匹敵するほどの暗く沈んだ貧困や悲惨な事態が存在するというのが、現実の社会問題になっているところも少なくないでしょう。
 そうした光の部分と影の部分を差し引き勘定すれば、多くの場合、プラスでもマイナスでもなく、ゼロということになるのかもしれません。ともかく、表側の強い光だけを見て裏側の影の部分を見落としていては、本当に物事を見たことにはならないということを上記の言葉は示しているのだと思います。


「天祐」の不思議
   2025/9/5 (金) 18:12 by 浜山典之 No.20250905181249

 夏目漱石の小説『吾輩は猫である』にも使われている「天祐(てんゆう)」という言葉ですが、これは「天佑」とも表記され、その意味は「天のたすけ」です。
 しかし、「天のたすけ」とは言っても、それは目には見えず、音にも聞こえず、さらには科学的に実証する手段もありません。それにもかかわらず、人は昔から「天のたすけ」というものを感じ取って、何らかの感謝の気持ちを抱いてきたのではないでしょうか。不思議といえば不思議なことですが、どうも人間の脳にはそういう感受能力が本来備わっているように見受けられます。
 何かがうまくいって幸運を感じたとき、自分の努力や他人の力添えだけでなく、それを超越した大きな力が働いて事が成就したのだと直感すること。これはおもしろい現象だと思います。
 余談ながら、このことに関連して思い出すのは、吉川英治の歴史小説『三国志』において諸葛孔明(しょかつこうめい)の言葉として「事を謀(はか)るは人にあり、事を成すは天にあり」と書かれていたことです。この場合の「謀る」とは、「何かを計画して、その実現を目指す」ということですが、小説の中の諸葛孔明は、そのような事の実現を最終的に成り立たせる力は「天」にあると考えていたわけです。
 このような見方は、「人事を尽くして天命を待つ」という諺の人生観と同じようなもので、それは「天のたすけ」を受けるという考え方を超えたものと言えるでしょう。つまり、人事を尽くしたあとは自分の守備範囲を離れて「すべては天の裁可次第である」ということで、そこには役割分担意識を伴った覚悟の表明が感じ取れます。


「インドラの網」の世界観
   2024/11/21 (木) 18:46 by 浜山典之 No.20241121184604

 一般的には「インドラの網(あみ)」といっても、あまりなじみのない言葉でしょう。そもそも「インドラ」というのは、インドのヴェーダ神話に登場する最高神です。『岩波仏教辞典』によれば、「この神に対する信仰が仏教に取り入れられ、仏法を守護する神と考えられた」と書かれています。その仏法を守護する神が「帝釈天」(たいしゃくてん)です。したがって、「インドラの網」は「帝釈天の網」とも呼ばれます。
 余談ながら、「帝釈天」と聞いて思い出すのは、山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズで主演の渥美清が映画の冒頭の口上で「私(わたくし)、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」と語っていた心地よい名調子です。
 さて、話を本題に戻します。大乗経典『華厳経』で説かれているところによれば、天空の宮殿にかかるインドラの網(あみ)は世界全体を覆い、網の結び目の一つひとつには、光り輝く宝珠があります。そして、その宝珠の一つひとつが宇宙のすべてを映し出しています。その宝珠がわずかでも向きを変えると、すべての宝珠の輝きに変化が現れます。ですから、網と宝珠は全体と個の繋がりを示し、また宝珠一つひとつの存在が全体に影響を与えています。
 このような話は、一見すると何だかファンタジーのように感じられるかもしれませんが、実のところ現代科学でいう「生態系」の考え方がこの「インドラの網」の世界観に合致していることが分かります。この世には何一つ孤立して存在するものはなく、すべてものはお互いに繋がり合い、影響し合っているという「インドラの網」の比喩による教えは、そのまま「生態系」における無数の生物の連鎖と共生という実相を表していると思います。言うまでもなく、生態系においては一つの種(しゅ)が絶滅したり個体数が激減したりすれば、その影響は生態系全体に及びます。
 また、こうした連鎖のあり方を考えれば、「バタフライエフェクト」と呼ばれるような現象が起こり得ることも理解できます。ちなみに、「バタフライエフェクト(butterfly effect)」つまり「チョウチョウ効果」とは、「南米でのチョウの羽ばたきが北米で旋風になるというような予測できない変化のしかた」(『ランダムハウス英語辞典』)です。


「時間厳守」の今昔
   2024/11/7 (木) 17:55 by 浜山典之 No.20241107175536

 1970年代に発行されたドイツ語の初級学習者向けの読本の中に、次のような言葉がありました。

  Pünktlichkeit ist alles.(時間厳守がすべてである)

 時間に厳格であることは、当時の日本でもドイツの場合と同様に強く求められていたことでした。ただ、ここまで言い切ってしまうところに、ドイツの国民性の一端がうかがえるのではないでしょうか。
 ところが、それからおよそ半世紀が過ぎて、たとえば日本の鉄道では事故や故障がない限り基本的に時刻表どおりに列車が運行されているのに対して、今のドイツでは時刻表よりも10分程度遅れて列車が駅に到着するのは珍しいことではなくなっていると聞きます。この点に限って言えば、歳月とともにだいぶ変化があるようです。


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浜山典之『ことばの手かご』(げんとも文芸館)
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